本従寺のご紹介

歴史

本従寺は、鎌倉時代に 片岡五郎衛門の寄進により 真言宗の寺院として創立されたと伝わっているが、

永正元年(1504年) 大本山鷲山寺第八世 日幡上人によって法華宗に帰伏改宗されたことから 歴史が始まる。

大本山鷲山寺所蔵の『青表紙』によると、 一松郷十六ヵ坊の中でも大坊であると記されている。

第十六世 日伝上人の代に本堂・庫裡が再建されて以来、 法灯と共に堂宇・伽藍を守り続けてきた。

集木先生の碑

本堂正面の右側に高さ4尺ほどの集木先生の碑という板碑がある。碑文によると、これは、江戸時代後期、酒井履信という人物が、師の漢学者、川井集木を偲んで建立したもので、石碑の下には「門人中」 と刻まれている。本従寺が学問所となっていたことがわかる。

また、同時代の漢詩人である遠山雲如は自身の住居を「蟹江魚白処」と称し近隣に住み、子弟を教育した。

明治7年には、本従寺に一松北小学校(現一松小学校)が置かれるなど地域教育に縁があるお寺である。

寺院概要

正式名称慶松山本從寺
宗派法華宗(本門流)
創立永正元年(1504年)
開基日幡聖人(大本山鷲山寺第八世 )
住職田中 庸隨
所在地〒299-4324 千葉県長生郡長生村一松丁2735